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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その102 スタルヒンのグラブとユニフォーム

写真のグラブを見ていただきたい。その大きさだけでも、使用した選手がどれほどの巨体の持ち主だったかが分かるだろう。190a以上の長身から投げ下ろす剛速球を武器に、プロ野球草創期から戦後にかけて活躍した伝説の大投手、ヴィクトル・スタルヒンのものだ。

数奇な運命をたどった。帝政ロシア、ウラル山脈東部の町の出身だが、ロシア革命のあおりを受け、旧満州を経て北海道・旭川に亡命。旭川中のエースとして活躍し、1934(昭和9)年の日米野球の際に全日本チームに参加、そのまま巨人軍の一員となった。

37年秋、38年春秋、39年、40年と5シーズン連続で最多勝を獲得。特に39年はチームの66勝のうち42勝を挙げるという快挙を成し遂げ、この数字は現在でも、61年の西鉄・稲尾和久と並ぶシーズン最多勝記録として残っている(稲尾の記録達成時に、戦前とのルール解釈の違いから、スタルヒンの記録が40勝か42勝かで論争になったのは以前紹介した通りだ)。戦争が激化した40年秋から44年までは、「須田博」と改名しプレーした。

戦後の46年、巨人時代の恩師・藤本定義を慕ってパシフィック・太陽に入団。その後、金星・大映に移り、パ・リーグ球団の8球団制実現のためにつくられた高橋(トンボ)ユニオンズで選手生活の晩年を過ごす。55年7月28日の近鉄戦(川崎)で史上初の300勝に到達し、その年限りで引退(写真のグラブの下のユニフォームが、55年着用のもの)。だが57年初めに自動車事故の悲劇に見舞われ、運命に翻ろうされた人生の幕を閉じた。

通算成績は586試合、303勝176敗、防御率2.09。83完封もシーズン最多勝と並ぶ不滅の金字塔だ。間違いなく史上最高の投手の一人に挙げられる右腕。このグラブとユニフォームは現在、企画展「球史を刻んだ用具たち」で、7月1日まで展示されている。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年6月25日発行 第27号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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