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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その100 明治時代の審判用インジケーター

注目投手・斎藤佑樹の活躍もあって、今春、東京六大学優勝まであと一歩と迫る早大。今週末の早慶戦はいつも以上の熱気に包まれることは間違いないだろう。今回はその早慶戦にまつわる面白いものを紹介したい。

写真は明治時代の審判用インジケーター。1906(明治39)年、秋の早慶戦で球審を務めた、学習院大の三島弥彦が使用したものだ(ちなみに三島は、日本が初参加した12〈明治45〉年の第5回ストックホルム五輪の陸上短距離代表。日本初の国際的スプリンターと言われている)。しかし、読者の方はこのインジケーターを見て不思議に思われるかもしれない。ストライクが4つ、ボールが5つまでカウントできるものなのだ。

ベースボールのルールはもちろん、誕生した当初から今とまったく同じだったわけではない。例えばピッチングについては、19世紀中ごろは「アンダースローで投球する」という決め事があり、また、「打者がハイボールかローボールかを指定できる」というルールさえ一時期はあった。投手がオーバーハンドでも投げられるようになったのは1884年のことである。

ボールカウントに関しても、1876年のルールでは「9ボールで打者は一塁へ」。その後徐々に減って87年に「5ボール」、89年に「4ボールで出塁」となった。三島が早慶戦の球審を務めたころにはすでに「3ストライクでアウト、4ボールで出塁」となっていたが、このインジケーターは古いルールの名残をとどめたものなのだ。

三島が球審を務めた10月28日、早大球場での1回戦は慶大が2対1で勝利。11月3日の慶大グラウンドでの2回戦は早大が3対0でタイに戻した。しかし11日に予定されていた3回戦は、応援の過熱化を懸念した慶大側の申し入れで中止に。早大・押川清主将が慶大・桜井弥一郎主将に「早大は一人の応援なしに戦う。それでも不安なら関西に試合場を移してでも」と説得をしたがかなわず、その後早慶戦は1925(大正14)年秋まで空白の時代を送った。誕生当初から数々の因縁を持つ伝統の一戦、今春も熱いドラマに期待しよう。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年6月11日発行 第24号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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