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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その87 第20回センバツ大会のポスター

今年79回目を迎えるセンバツ高校野球大会は、開幕まで1カ月を切った。何と言っても今大会の目玉は、モンスターと騒がれる大阪桐蔭高・中田翔。「第79回は中田の大会」と野球ファンに記憶される可能性もある。

ところがその「第79回大会」が、「第60回大会」になっていたかもしれない? という、今週はそんなお話。

戦前のセンバツは「全国選抜中等学校野球大会」が正式名称。戦後の学制改革(6・3・3・4制への移行)によって旧制中等学校が新制高等学校となり、現在の「選抜高等学校野球大会」に名前を変えたのだ。それが戦後復活2大会目、1948(昭和23)年の第20回大会のこと。ところが写真の同大会のポスターを見ると……そこには「第1回」とあるではないか。そう、名称変更とともに大会回数もカウントし直すことになったのだ。よって、そのままいけば今年は「第60回」となるはずだったが、55(昭和30)年の第27回大会から、中等学校時代からの通算でカウントすることに正式に定められたのである。

この第20回大会は、開幕日の4月1日が新校名へ移行する日。しかし中には新校名が決まらず旧校名のままで出場する学校もあった。混乱を避けるため、現在では、この大会は全校旧校名で統一表記されている。

昨夏、選手権で初優勝した早稲田実業は、この大会が戦後甲子園初出場だった。空襲によって校舎が焼かれ、戦後は青空教室からスタート。そんな物資不足の中、野球部は46年4月に再出発し、荒川博(のち早大−毎日・大毎−巨人打撃コーチほか。同じ早実出身の王貞治に一本足打法を指導した)を中心に復活を遂げたのだ。初戦で神戸二中に1対2で惜敗はしたが、のちの王投手らによる57(昭和32)年センバツ優勝、そして昨夏のハンカチ王子斎藤佑樹らの活躍へとつながる早実野球部の歴史は、焼土から這い上がってきた荒川らの苦労があってこそ、と言える。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年3月12日発行 第10号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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