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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その83 1951〜54年の阪急のユニフォーム

今年の殿堂入り記者発表の日、会見に臨んだ梶本隆夫夫人の享子さんは、孫の将人君から送られてきたというメッセージを紹介してくれた。

「じいじいへ でんどう入りおめでとう。みんな喜んでいるよ。今、野球のゲームでぼくがオリジナルのチームをつくりました。メンバーは王さんや福本さん。そして4番は長嶋さんが打っています。その中でじいじいは、まだまだ元気で投げています。チーム名は頑張(がんば)ジイジイズです。今までこのチームで負けたことがありません。これからも連勝記録をのばすからね。でんどう入りをいっしょにお祝いできなくて残念です」

「遅かった。せめて命のあるときに」。名球会会長の金田正一氏もそう悔やんだ。1954(昭和29)年から73(昭和48)年までの20年間阪急に在籍し、歴代9位の254勝を挙げた大左腕・梶本。昨年9月に亡くなり、殿堂入りの栄誉を直接受けることができなかったのは惜しい。

写真は梶本が入団した頃の、阪急のビジター用ユニフォーム(53年西村正夫助監督着用)。当時のチームはまだ黄金期前夜でBクラスに低迷することが多かった。54年、梶本は高卒ルーキーながらいきなり開幕投手に抜てきされ初勝利。結果20勝を挙げたが、新人王は宅和元司(南海)の手に渡った。入団3年目には自己最多の28勝。しかし、このときも三浦方義(大映)にわずか1勝及ばず最多勝を逃した。200勝投手ながら最多勝のタイトルとは無縁だった。しかし、57年に「400フィート打線」と恐れられた南海打線から奪った9者連続三振は、プロ野球記録として現在も残っている。

通算の負け数は勝ち星より1つ多い255。66年にはシーズン15連敗という日本記録も作った。だが、「負けても負けても西本(幸雄)監督は信頼して投げさせてくれた。意味のある負け数。満足感のほうが大きい」と生前の梶本は振り返っている。そうかもしれない。67年、長い長いトンネルを抜けた先には通算200勝と、2500奪三振、そして球団創設初のリーグ優勝という、最高の喜びが待っていたのだから。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年2月12,19日発行 第6号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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