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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その79 阪急・山田久志のグラブ

高木守道の引退試合は1981(昭和55)年、ナゴヤ球場での対阪急オープン戦。そのとき、阪急のエースとして高木に花束を渡したのが山田久志だった。

球史に残るサブマリン投手・山田は、高校(秋田・能代高)途中までは内野手だった。社会人・富士鉄釜石を経て、69(昭和44)年ドラフト1位で阪急入団。3年目の71年に22勝、翌72年には20勝で最多勝を獲得。その後、シンカーをマスターしたことで投球の幅を広げ、76年には26勝で2度目の最多勝、そしてMVP。77、78年もMVPとなったが、3年連続MVPはオリックス時代のイチロー(94〜96年)と2人しかいない栄誉だ。79年にも21勝で最多勝。10年間で6度の優勝という70年代の阪急黄金時代は、山田の存在なしには語れない。

メジャーのトム・シーバー(メッツほか)に並ぶ12年連続開幕投手(75〜86年)の世界記録も含めて、華々しいキャリアを持つ山田だが、ある苦い思い出が自身を大きく成長させたという。それは71(昭和46)年、巨人との日本シリーズ第3戦(後楽園)、1対0とリードで迎えた9回裏のことだ。二死一塁から、三番・長嶋茂雄に中前打を打たれて一、三塁。そして迎えた四番・王貞治に、カウント1−1からの内角球をすくい上げられ、サヨナラ逆転3ラン本塁打を浴びてしまった。完封寸前の痛恨の一打。流れを完全に巨人に引き寄せられ、V7を許した。「プロの厳しさを教えてくれた1球だった」と山田は殿堂入りの会見の際にも語っている。

プロ晩年は、86年入団の若き怪物・清原和博(西武)との対戦に燃えた。通算2000三振目を清原から奪い取るなどしたが、ある試合で本塁打を打たれたとき、真っすぐを投げたにもかかわらず「シンカーを打った」という清原のコメントを聞いて、自身の引き際を感じるようになったともいう。オリックスへの球団譲渡が決まった88年、山田は同じ阪急の顔であった福本豊とともにグラウンドを去った。


 

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年1月8,15日発行 第2号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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