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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その78 高木守道の2000安打目のボール

バックトスや逆ハンドでのグラブトスなど、その華麗かつ堅実な守備で、ドラゴンズ球団史だけでなく球界屈指の名二塁手として名を残す高木守道。その栄光を語る上で欠かせない、ある人物の存在があった。

1957(昭和32)年のこと。岐阜県にある県岐阜商高に、大学球界で名をはせるスター選手がやって来た。立大4年の長嶋茂雄である。特別コーチとして招へいされた長嶋は選手たちにノックを始めたが、するとそこで、俊敏な内野守備を見せる一人の球児に目を奪われた。その選手が高木だった。さらに長嶋を驚かせたのが、彼がまだ1年生だったということ。素材にほれ込んだ長嶋は約1週間、高木に徹底指導。わずかな期間ではあったが、その後の高木の野球人生に与えた影響は大きかった。

60(昭和35)年に中日に入団すると、プロ初出場の試合で代走に出て初盗塁、さらに初打席で初本塁打を放つという華々しいデビューを飾る。守備の名手としてだけでなく打撃成績も素晴らしい。プロ9年目の68(昭和43)年に巨人・堀内恒夫から受けた死球がもとで、一時深刻な打撃不振に陥ったことがあったものの、当時の徳武定之コーチの指導でアッパーからダウンスイングに変えたことで復調。78(昭和53)年4月5日の広島戦(広島)で、球団初の2000安打を達成し(写真が殿堂入りのときに寄贈された2000本目を放ったボール)、最終的な2274本は歴代14位にランクされる。また、小柄な体ながら本塁打の数も236本と多く、盗塁王も3回と、まさに攻守走3つともに超一流の選手だった。

高木の心に刻まれた、長嶋から送られた言葉があるという。「前に出ろ」。これは守備での技術的なアドバイスだったが、高木はそれを精神面でのアドバイスとも受け取った。寡黙で、いぶし銀の職人系の選手だったが、21年のプロ生活を支えていたのは、内に秘めた「前に出る」というアグレッシブな熱いハートだったのかもしれない。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2007年1月1日発行 第1号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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