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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その69 1954年の中日・天知俊一監督のユニフォーム

10月10日、東京ドーム。2年ぶりのリーグ優勝を決めた中日の指揮官・落合博満は、選手たちに胴上げされながら感涙にむせんだ。さかのぼること52年前の1954(昭和29)年11月7日、中日球場(現ナゴヤ球場)で同じように宙に舞いながら男泣きする一人の男がいた。当時の中日監督・天知俊一である。

49年に監督に就任。それとともに、帝京商時代の教え子である杉下茂を入団させ、エースへと仕立て上げた(第48回参照)。「天っちゃん」と選手たちから慕われた人情家の指揮官は、50、51年とチームを連続2位に導き、一時退任。しかし、52、53年に連続3位に沈むと、選手たちから天知復帰を願う声が上がった。説得したのは愛弟子の杉下。「もう一度ユニフォームを着てほしい」。その言葉に天知は、再び指揮官の座に就く決意をした。

倒すべき敵は、目下3年連続日本一の巨人。天知は杉下を巨人戦にぶつける作戦に出る。期待にこたえたエースは32勝(最多勝)のうち11勝を巨人戦で挙げる活躍を見せた。10月19日、巨人が敗れて球団初の優勝が決まったが、その吉報がチームにもたらされたのは、名古屋から東京に向う「特急つばめ」の車中だった。

対西鉄の日本シリーズでも、杉下が5試合登板(3先発)で3勝1敗。11月7日の第7戦は3安打完封の見事な投球で念願の日本一を決め、天知監督、選手たちは号泣したのだ。写真はその54年に天知監督が着用した、背番号「30」グレーのユニフォーム(ビジター用。70年の殿堂入りの際に本人より寄贈)。だがそれ以来、中日は5度リーグを制覇しながら日本一からは遠ざかったままだ。今年、「精いっぱい日本一を勝ち取ります」とお立ち台で誓った落合監督は、頂上決戦を制し、再びほおを喜びの涙で濡らすことができるだろうか。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年10月30日発行 第48号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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