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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その63 荒木大輔のヤクルト時代のユニフォーム

佑ちゃんフィーバーがとどまる所を知らない。今夏の甲子園、早稲田実初優勝の原動力となった斎藤佑樹。文句なしの実力と端正なマスクで大人気となり、ワイドショーでも連日大きく取り上げられる日々が続く。

佑ちゃんのネーミングはもちろん、かつて早実を5季連続甲子園に導いた荒木大輔(現西武コーチ)の大ちゃんに由来する。1980(昭和55)年の夏の甲子園、エースの故障でマウンドに上がることになった背番号「11」の1年生・荒木は、彗星のごとくデビューを果たす。1回戦で強豪の大阪・北陽をわずか1安打完封。さらに3回戦・札幌商、準々決勝・興南(沖縄)、準決勝・瀬田工(滋賀)と3連続シャットアウトした。決勝は左腕・愛甲猛(のちロッテ)擁する横浜に4対6で敗れたが、その実力・容姿で一躍大スターへ。群がるファンへの苦労ぶりは本誌8月21日号の水野雄仁氏との対談でも語っていたが、甲子園ではオトリを使って別の出口から出ることもあったという。

その後の荒木の戦績は、2年春は初戦敗退。夏は3回戦で、優勝した金村義明(のち近鉄)のいる報徳学園(兵庫)に延長逆転サヨナラ負け。3年春はベスト8、最後の夏は水野氏の池田(徳島)に準々決勝で敗れ去った。

荒木は早々と早大進学を明言したが、この人気者をプロ球団がほうってはおかない。秋のドラフトで巨人との競合の末、ヤクルトへと入団、甲子園で鮮烈デビューしたときと同じ「11」を着けた。写真は86年、初めて規定投球回に達し8勝を挙げた当時の、赤いラインがまぶしいユニフォーム。しかし翌87年に10勝を挙げて以降ヒジ痛、腰痛に苦しんだのは惜しい。

荒木同様、斎藤も早大進学が規定路線ということだが、果たしてドラフトの結果は? まだしばらくはフィーバーから目が離せそうにない。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年9月18日発行 第40号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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