先週に続いて、都市対抗に関するモノを紹介しよう。大会の最優秀選手に贈られるのが「橋戸賞」。都市対抗の生みの親、橋戸信(早大−毎日新聞社)が亡くなった1936(昭和11)年の第10回大会に設けられた賞だ。76年に及ぶ大会の歴史で、この橋戸賞を2度受賞した選手は、わずか2人しかいない。一人は92年(第63回)、97年(第68回)の大阪・日本生命の投手、「ミスター・アマ野球」の杉浦正則。そしてもう一人が、51・52年(第22・23回)に連続受賞した松井実だ。写真は彼が使用したグラブ(ミズノ社製)である。
面白いのは、松井は2年とも「補強選手」として出場し賞を受けているということ。都市対抗独特のこの補強制度は50年に設けられ、地方予選で敗れたチームの中から最大5人を、本大会を勝ち抜くための、いわば助っ人として選ぶことができるというものだ。

松井は和歌山・海草中出身の遊撃手。39年に東京・藤倉電線に入ると、早速、中京商夏3連覇の大投手・吉田正男(8月21日号参照)とともに都市対抗優勝に貢献。その後応召し南方戦線で苦難を味わったが、終戦後、49年に日本生命に入社。そして50〜52年、大阪・全鐘紡に補強され、3年連続優勝に貢献する。
最初の橋戸賞を受賞した51年は5試合中3試合でリリーフ登板しチームの危機を救った。52年も2回戦の大昭和製紙戦、0対0の7回一死満塁のピンチを切り抜ける活躍を見せると、決勝の日鉄二瀬戦ではランニング本塁打を放つなど3打点。文句なし、史上唯一の2年連続MVPとなった。「(リリーフは)2、3球のウォームアップで投げられる肩の強さで切り抜けた。内野の球回しのときの送球でも、1投が10投の効果になるように投げた」と松井。燦然と輝く大会史上唯一の3連覇の偉業の陰に、最強の助っ人の存在があった。松井もまた、アマ球界史上に残る名選手である。
(文責=編集部)
掲載号/週刊ベースボール 2006年9月11日発行 第39号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。