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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その61 東京倶楽部のユニフォーム

第77回都市対抗野球大会が8月25日に開幕する。高校球児たちの全力プレーに感動したあとは、残り少ない夏休みを利用して、社会人選手の1ランク上のプレーを堪能しに東京ドームに足を運ぶファンも多いことだろう。

現在、都市対抗に出場するのは企業母体チームが中心。だが、1927(昭和2)年大会発足当初は違った。初代王者の大連満州倶楽部はじめ、大連実業団、東京倶楽部、全神戸、全大阪と、第10回大会(36年)に門司鉄道局が勝つまでは毎年クラブチームが頂点の座に就いていた。

その中で、人気、実力ともに抜きん出ていたのが「東京倶楽部」だった。写真のそのユニフォームは、白い生地に紺色の襟、赤く縁取られた紺色の「TOKYO」の胸文字。長い袖が特徴的で、ブランドは「イシイカジマヤ」。そう、のちに巨人・王貞治のバットを製作した石井順一の「カジマヤ商店」(8月7日号参照)が製作したものだ。石井はこの東京倶楽部の主将を務めていた。

なぜ人気・実力が高かったかと言えば、東京六大学出身の花形選手たちで構成されたチームだったから。当時のサンデー毎日が「東京市代表というより日本代表と呼んだほうがふさわしい」と書いた通り、早大卒の石井、中島治康、慶大卒の三宅大輔、宮武三郎、法大卒の苅田久徳など、そうそうたるメンバーが所属した。第4回大会(30年)で初優勝すると、第5回は新加入の宮武が投打に活躍し史上初の連覇。さらに第7回、9回と計4度黒獅子旗を手にした。毎年大会が近づくと、選手たちは会社を休んで集まって練習した。日中戦争が始まり選手が集合しにくくなった38年に解散してしまったが、職業野球以前の日本最強チームであったことは間違いない。

昨年、NOMOベースボールクラブが企業チームの流れを汲まないクラブとしては27年ぶりに都市対抗に出場。″欽ちゃん球団など各地に発足して盛り上がるクラブチーム界、また東京倶楽部のようなスーパーチームが現れ、大会を盛り上げてほしいものだ。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年9月4日発行 第37号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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