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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その60 1957年夏の高校野球大会ポスター

プロ注目の右腕・斎藤佑樹を擁し、今春のセンバツでベスト8、今夏の選手権にも出場を果たした早稲田実業学校。センバツは1924(大正13)年の第1回の初出場(準優勝)から18度、夏は同じく15(大正4)年の第1回初出場から27度、甲子園の土を踏んでいるが、頂点に立ったのは57(昭和32)年、第29回センバツ大会の1度。この唯一の殊勲の原動力となったのが、2年生エース左腕・王貞治(現ソフトバンク監督)だった。その投球内容は素晴らしく、準決勝までの3試合すべて完封。決勝戦(対高知商)も7回までゼロを並べ続けた。

さて、今週紹介するのはその57年の夏、第39回選手権大会のポスターだ。地は濃い緑色で、オレンジ色の「全国高校野球」の文字。中央のレリーフはこの大会の参加賞のメダル(先週号参照)のデザインで、本塁にスライディングする選手の様子が描かれている。

この夏の大会で、王はノーヒットノーランの快挙を成し遂げている。初戦の2回戦、対寝屋川(大阪)戦でのことだ。相手エース・島崎武久との投げ合いとなったこの試合、王は春以上に風格を増したピッチングを披露した。延長戦にもつれ込んだ接戦は、11回表、早実が犠飛で1点をもぎ取ると、その裏、王がきっちり締めて大会史上15度目(14人目)の偉業が達成された。投球数は136球、うちドロップが11球だから、ほとんどストレート勝負で成し遂げたということが当時の王のピッチングのすごさを物語っている。

結局、この大会は法政二に敗れてベスト8止まり。58年春もベスト8、夏は都大会決勝で明治高にサヨナラ負けを喫した。「(この都大会で)それまでの自分のピッチングができなかったので、ピッチャーとしては不安もあった」と王は後に語っているが、59年、巨人に入団すると水原円裕監督の決断で打者に転向、世界のホームラン王としての道を歩み始めたのだった。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年8月28日発行 第36号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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