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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その57 王貞治(上)、張本勲のバット

胃の摘出手術のためチームを離れたソフトバンク・王貞治監督。メジャー記録を上回る通算868本塁打を放ち、監督として巨人、ダイエーで計4度のリーグ優勝、そしてこの春のWBCではチームを初代王者に導いた世界の王。早期復帰を我々はただ祈るばかりだ。

現役時代、868本の世界記録を陰で支えた人物がいる。王が愛用したバット(圧縮バット)を製作した石井順一である。千葉県松戸市でバットやボールを生産する「カジマヤ商店」を営んでいた石井が、圧縮バットを考案したのは1961(昭和36)年のことだ。バットの材料に使われるタモ(アオダモはその一種)は、ボールを何度も打っているうちに表皮がはがれてしまう欠点があった。

それを防ぐために、石井は木材に樹脂加工を施すことを思いついた。原木を1カ月間乾燥させて中仕上げし、樹脂加工にさらに3カ月。手間をかけて完成されたバットは、王だけでなく、張本勲(巨人ほか)や田淵幸一(阪神ほか)など多くのプロ選手に使用された。だが、石井は自分からバットの売り込みはしなかったという。「バットは武士の刀と一緒。使わせてほしいという人が来たら面接して、その人に合ったバットを作る」のが主義だった。バットの職人と、打撃の職人。2人の職人の力の融合が、球史に燦然と輝く偉大な数字を生み出したといえるだろう。

それからもう一つ2人にはつながりがある。石井は王の母校、早稲田実業の大先輩に当たり、1915(大正4)年の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の高校野球選手権大会)に六番・遊撃で出場しているのだ(準決勝で秋田中に敗退)。早大進学後は三塁手として活躍。捕手・久慈次郎と同級生で、21(大正10)年の第4回米国遠征のメンバーとして海を渡っている。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年8月7日発行 第33号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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