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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その54 鈴木啓示のラスト登板のボール

一見何の変哲もない、土で薄く汚れたボール。これは通算317勝投手、元近鉄・鈴木啓示の、現役最後の登板のときのものだ。1985(昭和60)年7月9日、後楽園での日本ハム戦で703試合目のマウンドに上った鈴木は、被安打5の5失点で3回途中KO。翌日の新聞にはこんな見出しが載った。「300勝の記念球に見向きもしなかった男が、乱打された黒いボールをソッとグラブに」――。プロの世界を生き抜いた男の、まさに万感こもった1球。どんな価値あるサインボールより、見る者の心を大きく揺さぶるのは気のせいだろうか。

鈴木はドラフト1期生である。65(昭和40)年11月17日に初めて開催されたドラフト会議。育英高の鈴木は、ウエーバー順となる「第二次選択」の一番初め(2位)に、その年パ最下位の近鉄から指名された。だが、マスコミの注目は巨人1位の甲府商高の剛腕・堀内恒夫や、阪急1位の法大・長池徳二、各球団が1位重複を避けた結果まさかのウエーバーでの指名となった銚子商高・木樽正明(東京2位)らが中心。当時の新聞を開いても、鈴木に関する記事はあまり残っていない。

しかし、ここから豊富な練習量に裏打ちされたタフネスさと、キャッチフレーズの「草魂」で球界を代表する左腕へとのし上がっていく。1年目に10勝を挙げると、67年からは5年連続20勝。現役20年間で2ケタ勝利に届かなかったのはわずか2シーズンしかない。84(昭和59)年5月5日の日本ハム戦(藤井寺)で史上6人目の通算300勝を達成。ドラフト制以降の入団で、300の大台に達した投手は鈴木だけである。

「いいも悪いも、やるだけのことはやった。何も悔いはない」。ラスト登板から6日後の7月15日、鈴木は正式にユニフォームを脱いだ。「もう魂がなくなった。単なる草になってしまったんや」。背番号1は近鉄の永久欠番となった。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年7月17日発行 第30号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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