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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その53 別当薫の大毎オリオンズユニフォーム

交流戦で2年連続優勝を飾った千葉ロッテは、賞金5000万円の一部を球団の歴史を伝えるミュージアム設立への資金にするという。昨年のプレーオフのポスターに金田正一元監督を起用するなど、その「歴史」を敬い大切にする姿勢には素晴らしいものがある。

写真のストライプユニフォームの所有者もロッテの球団史を刻んだ人物。大毎(毎日大映)オリオンズ時代の59年、監督の別当薫が着用していたものだ(背番号50)。別当は、球団創設の1950年に第1回日本シリーズ王者に輝いたチームの中心選手で、52年後半と54年から6年間監督を務めた(57年以前は選手兼任)。この59年は、阪神から前年の首位打者・田宮謙次郎を獲得し、山内和弘、榎本喜八、葛城隆雄らでミサイル打線を形成。リーグ唯一の3ケタ114本塁打の豪打で2位に躍進した年だ。別当はその年限りで退くが、チームは翌年、西本幸雄監督の下で10年ぶりのリーグVを遂げた。

別当政権期はパ・リーグが大きく揺れ動いた時代でもあった。8球団から7、そして6球団へ。高橋ユニオンズを吸収合併した大映ユニオンズを、58年、さらに吸収したのが毎日オリオンズだった(以降大毎)。いわば寄せ集めの集団をまとめ挙げたのが別当だったのだ。

さて、ロッテ球団の始祖である毎日オリオンズのホーム用ユニフォームは白地にストライプ、そして左胸に「M」の文字が入ったデザインだった。「M」は「毎日」の意味だし書体も違うが、現在のロッテのホーム用とデザインが似ていたのだ。東京オリオンズ時代の66年まで、ホーム用には必ずストライプが採用されていた。その後長いブランクがあったが、95年に現行のデザインとなり復活。白地にストライプは今、「強いロッテ」の象徴となりつつある、と言えるだろう。 

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年7月10日発行 第29号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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