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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その48 杉下茂のシールズのユニフォーム

今週号の特集「変化球」にかかわるものを。日本でフォークの元祖といえば元中日ほかの大投手・杉下茂。写真は1951(昭和26)年2、3月に、杉下が巨人・川上哲治、阪神・藤村富美男、松竹・小鶴誠とともに、セ・リーグの派遣で、フランク・オドール監督率いるAAA級サンフランシスコ・シールズのモデスト・キャンプに参加したときに着用したユニフォームと帽子だ。

杉下がフォークを学んだのは明大在学中の46年。カーブが下手なことから、別の変化球ということで帝京商時代からの恩師、天知俊一(49年より中日監督)からフォークの存在を教わった。49年に中日入りすると2年目には27勝を挙げてエース格に。だが、フォークという球種が知られていなかった当時、「杉下はたまに変な球をほうる」というのがもっぱらの評判。杉下自身も試合で本気で使うことはあまりなかったという。

だがこの51年のキャンプ。アメリカの選手たちの生き残りをかけた必死さに、杉下は「手は抜けない」とフリー打撃で思い切り腕を振ってフォークを投じた。するとどうだろう、打者のバットは次々と空を切り、捕手もまともに捕球できない。オドール監督は「フォークじゃないか!」と驚いた。当時メジャーでフォークを操る投手は皆無だったのだ。カブス、インディアンスのメジャーチームとのオープン戦でも好投した杉下には、当然、アメリカ残留の要請が届く。もし残っていれば、日本人メジャー第1号として名を上げていたかもしれない。

帰国後、川上らの伝聞で「杉下のフォーク」は他球団にも認識され恐れられるようになった。だが、杉下の収穫はフォークよりも、数種類投げ分けられるようになったカーブの上達だったそうだ。この年28勝で最多勝。54年には32勝、防御率1.39でタイトルを総ナメ、天知監督の日本一胴上げに貢献している。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年6月5日発行 第23号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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