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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その47 ジャッキー・ロビンソンのバット

トルネード旋風が、そのお宝″を永い眠りから覚ました。1995年、メジャーに渡った野茂英雄の姿をテレビで見たその人は、ユニフォームの「Dodgers」の文字を見て、ふと遠い昔の記憶がよみがえってきたという。「そう言えばあれは……」。家の中を探してみると、出てきたのは一本の折れたバット。1956(昭和31)年、彼は後楽園での日米野球でボールボーイを務めていた。バットはその試合中、ブルックリン・ドジャースの白髪交じりの黒人選手からもらったものだった。

その選手の名はジャッキー・ロビンソン。人種差別という壁を乗り越えて、20世紀最初の黒人メジャー選手として活躍した。ボールボーイの受け取ったバットが写真のもので、折れているため布で巻いて補強してある。

ロビンソンがメジャー・デビューを果たしたのは1947年4月15日。初めはチームメートや白人ファンから偏見の目を向けられたが、彼は自らのバットでそれを尊敬の眼差しに変えた。その年、新人王を獲得すると、49年には打率.342で首位打者、MVPの栄誉。四番・三塁としてチームの中心選手となっていった。

56年当時、ロビンソンは37歳。年齢による衰えはありながらも主砲としてリーグ優勝に貢献した。10月18日に来日したドジャースは11月13日まで全国各地を回り、全日本、巨人などと計19試合、14勝4敗1分けと力を見せ付けた。ところが帰国後の12月、ロビンソンは突然ニューヨーク・ジャイアンツへトレードを言い渡され、結局年明けに引退してしまう。62年、野球殿堂入り。4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」、背番号「42」は現在着用している選手を除きメジャー全球団の永久欠番となっている。日本で「42」を着けている横浜のクルーンは、尊敬の念を込めつつ、こう言う。「彼はどんなことにも、決してあきらめることがなかった。今、僕のような黒人選手がこうして野球で家族を養っていけるのは、彼のおかげなのさ」

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年5月29日発行 第22号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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