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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その44 1988年ドジャースのチャンピオンリング

メジャーの夢を追いかけて海を渡ったドジャース・斎藤隆(前横浜)が好調だ。中継ぎで6試合連続無失点(4月20日現在)。現地時間4月18日のドジャー・スタジアムでのカブス戦では記念すべき初白星も手にした。

40年以上前の1965年、選手ではないが、同じように「本場の野球を学びたい」と、夢を追い求めて海を渡り、ドジャース球団に入った人物がいた。″アイク″の愛称で親しまれた生原昭宏氏。写真は、ドジャースが最後にワールド・シリーズを制した88年のチャンピオンリング。生原氏が亡くなった翌年の93年、喜美子夫人からユニフォームなどとともに博物館に寄贈されたものだ。

福岡県生まれ。早大、社会人・リッカーミシンでプレーし、亜大の監督を務めた後、渡米を決意。なんとか橋渡しをしてもらおうと、戦前から米球界と深いつながりを持つ鈴木惣太郎氏の家の前に三日三晩立ち続けたという。ドジャースではマイナーチームでのスパイク磨きからはじまり、徐々に会長のウォルター、その息子のピーターのオマリー一家の信頼を得て球団フロント入り。オーナー補佐、国際担当として活躍するだけでなく、日本球団のアメリカでのキャンプ開催や日米大学野球開催など、日米球界の架け橋的役割を果たした。「アメリカへ渡った野球関係者で、アイクの世話にならないものはいない」とまで言われたほどだ。

日本ハムの監督専属通訳を務める岩本賢一氏はこう話す。「生原さんとは、学生時代に何度か手紙のやりとりをさせていただきました。僕が何か質問があって手紙を書くと、ほかにも多くの仕事があったであろうに、時間を割いて必ず返事を書いてくれました。われわれみたいな名もない野球少年をも大切にしてくれた方。そう思っているのは僕だけではないと思います」。大いなる情熱と誠実な人柄で、多くの野球人から信頼され愛された生原氏。02年、野球殿堂入りを果たしている。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年5月8日発行 第19号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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