公益財団法人野球殿堂博物館
ホームへ戻る
アクセスQ&Aサイトマップ

HOME  >>  展示  >>  収蔵品紹介
展示
収蔵品紹介もどる
 
展示について
展示トピックス
常設展示
企画展
収蔵品紹介
映像シアター



 
週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その39 選抜大会委員賞のブックエンド

「春夏甲子園始まって以来の剛速球」と、河野安通志は表現した。本格派の上手投げの美しいフォームから放たれる矢のように速い球。打者のバットが空を切るたびに、満員のスタンドは大きな歓声に包まれたという。

春のセンバツ大会に、かつてMVPに贈られる賞があったことはあまり知られていない。「大会委員賞」といい、昭和4(1929)年の第6回から昭和7(32)年の第9回まで存在した。そして第9回大会で受賞したのが「世紀の剛球投手」と呼ばれた兵庫・明石中の楠本保だ。写真は賞の記念品のブックエンド(高さ18.5cm、幅14.5cm)、いかにも学生らしいものであった。

旧制4年生の楠本はこの大会、初戦の広陵中(広島)戦でいきなり13三振を奪い、大会史上初の全員三振を達成。準々決勝の京都師範戦でも14奪三振で2度目の全員三振を記録した。決勝の松山商(愛媛)戦では惜しくも0対1で破れたが、計5試合39イニングで49三振と、一躍全国にその名を広めたのだ。

同年夏も1回戦の北海中(北海道)戦でノーヒットノーラン。翌昭和8年のセンバツでは、準々決勝で後の巨人の大エース、京都商の沢村栄治に2対1で投げ勝っている。そして最後の夏の甲子園、明石中は準決勝で中京商(愛知)と延長25回0対1という大熱戦を繰り広げたが、マウンド上にいたのは後輩の中田武雄。楠本は脚気(かっけ)による体調不良で右翼守備に就いていた。その後慶大に進んだ楠本は外野手として活躍したが、昭和18(43)年、中国で戦死。25回を一人で投げ抜いた中田の命も戦火に消えた。

楠本の剛球のように、数々の伝説を生み出してきた甲子園。3月23日、まずは78回目の春舞台が幕を開ける。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年4月3日発行 第13号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


ページTOPへ
 

ご意見ご要望 プライバシーポリシー サイトポリシー

Copyright (C) 公益財団法人野球殿堂博物館 THE BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM All rights reserved.