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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その28 仰木監督と野村監督のサインボール

マジック対ID。95年、日本シリーズの舞台に立ったのは、ともに60歳の名将に率いられたチームだった。


95年の日本シリーズ時に書かれたサインボール。
左が仰木氏

震災からの復興を目指す神戸市民の声援を受けて、イチローを軸としたチームで初のリーグ制覇を果たした仰木彬監督のオリックス。そして、万年最下位のチームにデータ野球を持ち込み、92、93年リーグ連覇にはじまり黄金期を築きつつあった野村克也監督のヤクルト。

振り子打法のイチローを世に送り出したように、選手の個性、自主性を重んじる仰木さい配に対し、「ウチの野球がマジックに負けるわけがない」と対抗意識を燃やした野村監督はイチロー封じに力を注いだ。「内角に弱い」と発言するなど心理戦を展開する一方、1時間半の全体ミーティングのほとんどを若き安打製造機への対策に費やした。結果、イチローを打率.263に抑えたことが奏功、4勝1敗でヤクルトが完勝したのである。

それから10年後の05年、合併球団の監督となりプレーオフ争いにまで導いた仰木氏だったが、勇退後わずか3カ月足らずで天に召された。「(95年のような)野球の真髄である心理戦を、もう一度したかった」。同じ70歳、楽天の監督として再びユニフォームに袖を通す野村氏は、そう言ってその死を悼んだ。

仰木氏、野村氏はともに、野球殿堂入り後にも監督を経験した人物だ。野村氏は89年に表彰を受けているが、仰木氏の殿堂入りは2年前、2004年のことだった。記者発表では「感無量。関係者、ファン、すべての方に感謝したい」と目を潤ませ、オールスターでの表彰式には真っ白なスーツで臨んでいたのは記憶に新しい。

記者発表は、毎年1月初旬、博物館の殿堂ホールにて、マスコミや関係者、一般の入館者・ファンにも見守られ、温かな祝福の中で行われ、選出された方々の喜びと戸惑い、緊張が入り混じった表情を垣間見られる。06年は1月10日、午後3時から行われる。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2006年1月9、16日発行 第2号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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