公益財団法人野球殿堂博物館
ホームへ戻る
アクセスQ&Aサイトマップ

HOME  >>  展示  >>  収蔵品紹介
展示
収蔵品紹介もどる
 
展示について
展示トピックス
常設展示
企画展
収蔵品紹介
映像シアター



 
週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その25 千葉茂のスパイク

東京・市ヶ谷に居をかまえながらも、後楽園が住処(すみか)のようなもの。毎日のように東京ドームや野球博物館に足を運んでいた。ドームの職員ロッカーの片隅には自分専用のスペースさえ設けられていたのだという。

現役を引退してから24年後の1980年に野球殿堂入り。博物館との付き合いはそこから始まった。いつも書庫を歩き回りながら、新聞、雑誌の連載のための調べ物をしていた。人がいないときには自然と留守番役も務めるくらい、そこになじんでいた。南京虫と闘った満州遠征、MVPの副賞に子豚を贈られた東西対抗……。書物だけでは得難い戦前・戦後のプロ野球の貴重な話をそこで聞くことができた職員の皆さんは、「本当に恵まれていた」と口をそろえて言う。

飛行機には乗れず、ホテルは5階より上には泊まれないという高所恐怖症。カフェオレ色の衣装を好むしゃれっ気がありながらも、靴のかかとはいつも踏まれて平らになっていた。博物館に寄贈された現役時代のスパイクにさえ、同じようにかかとが踏まれた跡が残っている。

そんな人物も、生まれ故郷である愛媛・松山でのオールスター開催実現に向けては、靴をきちんと履いて機構と交渉するなど尽力した。四国を愛していた。ドーム近くに高知ナンバーのバスが止まっていただけで、それをバックにうれしそうに記念写真を撮っていたほどだ。

長嶋茂雄以前に背番号3を着けた巨人の名二塁手。カツカレーの発明者。右打ちの名人と言われた現役時代のニックネーム「猛牛」は、近鉄監督就任時(59年)にその球団名となり、オリックスと合併した今でも残る。千葉茂氏。故郷での球宴が実現した02年に亡くなった。今月9日が祥月命日。もう、3年になる。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2005年12月19日発行 第57号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


ページTOPへ
 

ご意見ご要望 プライバシーポリシー サイトポリシー

Copyright (C) 公益財団法人野球殿堂博物館 THE BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM All rights reserved.