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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その17 55年日米野球 ミッキー・マントルのユニフォーム

1955年、大リーグの名門、ニューヨーク・ヤンキースが、単独チームでの初来日を果たした。当時のヤンキースはまさに人気・実力ともに最高のドリームチーム。なにせ、それまでの10年間で6度ワールド・シリーズを制覇し、この年もア・リーグ王者に輝いていたのだ。来日した選手も、200勝左腕ホワイティー・フォードや、この年を含む3度のMVPを獲得した名捕手ヨギ・ベラ、ヤンキース最初の黒人選手エルストン・ハワード、そしてメジャー史上最高のスイッチヒッターのミッキー・マントルなど、ほぼベストメンバー。もちろん日本国民の注目度も高く、後楽園での第1戦(対毎日戦)は、その前にデーゲームで行われた日本シリーズ・巨人対南海戦よりも観衆が多かったほどだ。

今回紹介するのは、マントルが来日時に着用したユニフォーム。生地は薄手のウールで色はビジター用のグレー。左袖のエンブレムには、日米両国の国旗と「U.S−JAPAN GOODWILL TOUR 1955」の文字。GOODWILL(親善)とはあるが、ヤンキースは本気モードで期待にたがわぬ力を見せ付けた。10月22日から11月13日まで、北は札幌円山から南は平和台まで全国を転戦し計16試合、15勝1分け0敗と日本のチームを蹴散らした。戦後日本にやってきたメジャーチーム、メジャー選抜チームで、無敗で帰国したのはこの55年のヤンキースだけである。マントルは故障のため7試合のみの出場だったが、代打で出た第1戦、右打席から弾丸ライナーで場外へと消える大ファウルを放ち観衆の度肝を抜いた。170mを超えると言われた飛距離は本物だった。

当時、西鉄の選手として対戦した豊田泰光氏は「マントルやハンク・バウアーの打球を見せられたら、日本は追いつくのに50年かかると思った」と語った。その50年後の2005年、日本人選手がヤンキースの主力として活躍している。日本は追いつき始めた。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2005年10月24日発行 第46号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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