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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その10 1961年稲尾和久パ・リーグ最多勝楯

優勝争いを繰り広げている阪神の中継ぎエース・藤川球児の登板数が60を超えた。このペースで行くと、元西鉄・稲尾和久、オリックス・菊地原毅が持つ78試合登板のシーズン記録を塗り替えそうな勢いである。

菊地原の記録も中継ぎでのものだが、稲尾の「78試合」は中身が違う。記録達成の1961年は完投が25、交代完了43と先発、リリーフでフル回転。投球回数はなんと404回。そして、積み上げた勝ち星は「42」。スタルヒン(元巨人ほか)と並ぶシーズン最多勝利記録も達成した。投手分業制が定着し、20勝投手が出るだけでも騒がれる現在では考えられないが、かつてエースとは20、30勝は当たり前という存在だったのだ。写真の楯(たて)は、高さ51.5cm、横31cm、奥行き16cm。93年、殿堂入りした稲尾氏が野球体育博物館に寄贈したものだ。

61年の稲尾は開幕から勝ち星を量産し、オールスター前の7月11日に早くも20勝。夏場も調子を落とすことなく10月7日に40勝。42勝目は10月11日、神戸市民球場での阪急戦。1対1の8回から登板し、9回豊田泰光の決勝2ランで白星を手にした。「スタンドから豆ファン(子供)がどっと駆け寄った」と当時の新聞。

ところが稲尾は「あと4つのシーズン三振記録(国鉄・金田正一の350、稲尾は結局353で更新)を狙っていたのに1つで残念。阪急はチョコチョコ当ててきよった」とあっさり。これは、当時スタルヒンの最多勝記録は40とされており、記録は超したものと思っていたからだろう。戦前は勝利投手を決める明確な規則がなく記録員の判断によったため、2試合で現在なら勝敗に関係のないスタルヒンに白星が付いていたことが混乱を起こした。53年に一時40勝とされたスタルヒンだったが、この年の稲尾の活躍により論議が再燃。結局、「記録員の決定をみだりに変えるべきではない」と再び42勝に訂正されてしまった。新記録達成とはならなかったが、それでも「42」は偉大すぎる数字である。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2005年9月5日発行 第37号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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