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週刊ベースボール連載「ベースボール博物館」
その8 慶応普通部の第2回夏の甲子園優勝プレート

今春、45年ぶりの甲子園でベスト8に勝ち進んだ慶応。夏は惜しくも神奈川県大会決勝で敗れたが、その夢と終わった夏の甲子園で、1916(大正5)年に初出場初優勝を遂げた同校の記念プレートが、野球体育博物館に展示されている。

タテ42.5cm、ヨコ72.5cmの白銅製。メンバーや決勝戦の審判名などが刻まれたこのプレートは、1934(昭和9)年に建設された「野球塔」にはめ込まれていたものだ。第20回大会を記念して、甲子園球場の東側、現在の警察署付近の松林に建てられた野球塔。2500人を収容する円形劇場風のアリーナに、中央に240cmの強打者の像を据えた高さ33mの白亜の塔がそそり立っていた。大会に参加した球児たちのコミュニケーションの場となり、開会式前日には茶話会、普段は野球教室や音楽会も催されていたという。このアリーナを囲む20本の柱にそれぞれ過去19回の優勝校のプレートが付けられ、20本目の柱に、20回大会の優勝校・呉港中の銅板が据えられたのだった。


野球塔(朝日新聞社 提供)

だが、この立派な塔は戦時色が強まるとともに悲しい末路をたどった。鳴尾浜飛行場の離発着の邪魔になると塔は取り壊され、建物自体も激しい空襲で完全に破壊。プレートも軍への供出ですべて取り除かれ、銃や弾丸に姿を変えた。そんな中で奇跡的に残った4枚のプレートのうちの一枚が、この陸の王者のものだったのだ。

ちなみに、刻み込まれているメンバーの中に、「新田理論」で知られる新田恭一氏の名がある。この第2回大会の優勝投手となった新田氏は、大学卒業後に渡米してゴルフ選手として活躍し、その経験からゴルフスイングを参考にした打法を編み出した。新田氏から指導を受けた小鶴誠が、50年、松竹で打率.355、51本塁打、161打点の驚異的な成績を残したことは知られている。

(文責=編集部)

掲載号/週刊ベースボール 2005年8月22日発行 第35号
取材協力/財団法人野球体育博物館
※記事は掲載時のまま転載しております。会期の終了した企画展や、現在は館内で展示していない資料を紹介している場合があります。ご了承下さい。


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