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平成26年 野球殿堂入り決定!!
競技者表彰委員会・プレーヤー表彰からは野茂英雄氏秋山幸二氏佐々木主浩氏が、特別表彰委員会からは故・相田 暢一氏が野球殿堂入りとして選出され、エキスパート表彰は、各候補者とも規程の得票数に達しなかった為、本年は該当者なしとなりました。


野茂 英雄  のも ひでお

生年月日: 1968年8月31日
出身地: 大阪府
出身校: 成城工
履歴・球歴
成城工
新日鐵堺
1990〜1994年  近鉄
1995〜1998年  ドジャース
1998年  メッツ
1999年  ブルワーズ
2000年  タイガース
2001年  レッドソックス
2002〜2004年  ドジャース
2005年  デビルレイズ
2008年  ロイヤルズ

NPB(実働5シーズン 投手 右投右打)
139試合  78勝46敗1S  1051.1回  1204奪三振
防御率 3.15
最高勝率1回(1990)  最優秀防御率1回(1990)
最多勝利4回(1990〜93)  最多奪三振4回(1990〜93)
新人王(1990)   最優秀選手1回(1990)  沢村賞1回(1990)
ベストナイン1回   御率ベストテン入り3回   オールスター5回

MLB(実働12シーズン)
323試合  123勝109敗  1976.1回  1918奪三振
防御率4.24
ノーヒット・ノーラン2回(1996.9.17、2001.4.4)
新人王(1995)  オールスター1回

「トルネード投法」からの剛速球とフォークボールを武器に日米で活躍。1990年ドラフト1位で近鉄に入団。1年目から最多勝をはじめ投手タイトルを独占。新人王、MVPにも選出された。95年にロサンゼルス・ドジャースに移籍し、13勝6敗、リーグ最多の236奪三振で新人王に選ばれた。また、ナ・ア両リーグでノーヒット・ノーランを達成するなど日米通算201勝をあげた。

秋山 幸二  あきやま こうじ

生年月日: 1962年4月6日
出身地: 熊本県
出身校: 八代高
履歴・球歴
八代高  
1981〜1993年  西武
1994〜2002年  ダイエー
2005〜2008年  ソフトバンクコーチ
2008、2009年〜現在  ソフトバンク監督
※2008年は8月14日の1試合のみ

プロ野球(実働20シーズン  外野手  右投右打)
2189試合  7997打数  2157安打  437本塁打  1312打点
打率 .270
本塁打王1回(1987)   最多勝利打点2回(1985、87)
盗塁王1回(1990)
ベストナイン8回   ゴールデングラブ賞11回   正力賞2回
サイクルヒット(1989.7.13)   打率ベストテン入り5回   オールスター18回
 
監督成績
6年  721試合  378勝309敗34分   勝率.550

80〜90年代の球界を代表する俊足強打の外野手。
81年ドラフト外で西武に入団。87年に43本塁打で本塁打王を獲得。89年には“3割、30本塁打、30盗塁”のトリプルスリーを達成。90年は51盗塁で盗塁王を獲得した。西武ではリーグ優勝8回、日本一6回に貢献。94年、ダイエーに移籍し、99年には主将としてチームを初の日本一に導いた。


佐々木 主浩  ささき かづひろ

生年月日: 1968年2月22日
出身地: 宮城県
出身校: 東北福祉大
履歴・球歴
東北高  
東北福祉大  
1990〜1992年  大洋
1993〜1999年  横浜
2000〜2003年  マリナーズ
2004〜2005年  横浜

NPB(実働12シーズン  投手   右投右打)
439試合   43勝38敗252S   627.2回   851奪三振
防御率 2.41
最優秀救援投手5回(1992、95〜98)日・セ記録
最優秀選手1回(1998)   最優秀投手1回(1998)
正力賞1回(1998)
最多連続試合セーブ 22 (1998.4.26〜6.30)日・セ記録
ベストナイン1回  オールスター8回

MLB(実働4シーズン)
228試合   7勝16敗129S   223.1回  242奪三振
防御率3.14
新人王(2000)  オールスター2回

“大魔神”と呼ばれ、フォークボールを武器に日米で活躍したクローザー。1990年ドラフト1位で大洋に入団。91年からリリーフとして活躍。98年には抑えとして45セーブをあげ、横浜38年ぶりの優勝に貢献した。2000年に大リーグのシアトル・マリナーズに移籍し、37セーブをあげ、新人王を獲得。01、02年にはオールスターにも出場するなど日米で活躍した。

相田  暢一  あいだ ちょういち

生年月日: 1921年5月19日
没年月日: 2012年4月17日
出身地: 北海道
出身校: 早稲田大学
履歴・球歴
1940〜47年
早稲田大学

1940年、投手として野球部に入部したが肩を壊し、マネージャーに転向。
1943年の「出陣学徒壮行早慶戦」開催に奔走し、実現させた。また、バット、ボール等を集め合宿所に保存し、戦後の復活に備えた。これらの物資は自校のみならず、各校にも配布され、戦後の早い時期に野球復興が実現した。

GHQに接収されていた神宮球場の使用許可を取り1945年10月28日六大学OB戦を実現させた。
また、神宮球場の返還について、GHQに掛け合うなど尽力し、1952年3月に返還に至った。

1946年から卒業まで学生監督を務め、卒業後も30年以上にわたり東京六大学野球連盟の運営にも大きく寄与し、理事、審判員として活躍。また、審判技術顧問として審判の技術向上にも貢献した。

1949年からは日本高等学校野球連盟、日本社会人野球協会の審判員も務め、1958年夏の甲子園大会準々決勝の徳島商対魚津高戦の引き分け、再試合とも主審を務めた。

その他、日本学生野球協会評議員、理事、全日本大学野球 連盟評議員、理事など数々の役職を歴任し、アマチュア野球界の発展に大きな足跡を残した。



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