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平成21年 野球殿堂入り決定!!
競技者表彰委員会・プレーヤー表彰からは若松勉氏、エキスパート表彰からは青田昇氏、特別表彰委員会からは大社義規氏君島一郎氏が野球殿堂入りとして選出されました。

若松 勉 わかまつ つとむ

生年月日: 1947年4月17日
出身地: 北海道
出身校: 北海高校
履歴・球歴
北海高校
電電北海道  
1971年〜1989年 ヤクルト
1993年〜1994年 ヤクルトコーチ
1995年〜1996年 ヤクルト二軍監督
1997年〜1998年 ヤクルトコーチ
1999年〜2005年 ヤクルト監督

プロ野球(実働19シーズン 外野手 右投左打)
2062試合 6808打数 2173安打 884打点 220本塁打 打率.319
首位打者2回(1972、77) 最多安打1回(1977)
最優秀選手1回(1978) ベストナイン9回
ゴールデングラブ賞2回 正力賞1回(2001)
通算最高打率(4000打数以上 セ記録).319
通算サヨナラ本塁打8(セ記録)
最多連続試合サヨナラ本塁打2(日本・セ記録)
サイクル安打(1976.7.9) オールスター11回
打率ベストテン入り12回

監督成績
7年 975試合 496勝461敗18分 勝率.518

1年目の'71年規程打席未満ながら打率.303をマークし、翌'72年には打率.329で
首位打者を獲得。以来3割を12回獲得し、'78年には打率.341、17本塁打、71打
点で球団の初優勝に 貢献、MVPに選ばれた。


青田 昇 あおた のぼる

生年月日: 1924年11月22日
没年月日: 1997年11月4日
出身地: 兵庫県
出身校: 滝川中学
履歴・球歴
滝川中学  '41年 第18回全国選抜中等学校野球大会出場
1942年〜1943年 巨人
1946年〜1947年 阪急
1948年〜1952年 巨人
1953年〜1958年 (大洋松竹〜)大洋
1959年 阪急
1962年〜1963年 阪神コーチ
1965年〜1967年 阪急コーチ
1972年 大洋コーチ、監督代行
1973年 大洋監督

プロ野球(実働16シーズン 外野手 右投右打)
1709試合 6566打数 1827安打 1034打点 265本塁打 打率 .278
首位打者1回(1948) 最多安打1回(1948)
本塁打王5回(1948、51、54、56〜57) 打点王2回(1943、51)
ベストナイン5回(1948、50〜51、56〜57)
最多連続打数本塁打4(1956.5.6 日本記録・セ記録)
サイクル安打(1953.4.23) 東西対抗4回 オールスター6回

監督成績
2年 147試合 61勝78敗8分 勝率.439

'42年巨人に入団し42試合に出場し、規定打席不足ながら唯一の三割打者
(打率.355)となり優勝に貢献した。
'48年の首位打者争いは、青田(.306)、小鶴(.305)、鶴岡(.305)によって最終戦
までもつれ込み毛差で青田が獲得し、本塁打王も25本で川上と分け合い二
冠を制した。強肩で俊足、旺盛なファイトが“じゃじゃ馬”と親しまれ、巨人黄
金時代の立役者で、球界を代表するホームランバッター。コーチ、監督とし
阪て若手の指導育成には定評があり、阪神、阪急をリーグ優勝に導いた。

大社 義規 おおこそ よしのり

生年月日: 1915年2月1日
没年月日: 2005年4月27日
出身地: 香川県
出身校: 旧制高松高等商業学校(現香川大学)
履歴・球歴
旧制高松高等商業学校  
1973年〜2002年  日本ハム・ファイターズ初代オーナー

1942年に徳島市で徳島食肉加工場を創設、'51年に株式組織とし徳島ハム
株式会社を設立した。
'63年、鳥清ハムと合併し日本ハムに商号を変更した。
「知名度がない」との現場からの要請に、宣伝のためスポーツ界への参入を
考える。旧制高松中学の3年先輩だった三原修氏に相談し、'73年日拓ホー
ムフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズとしてプロ野球に参戦し、初
代オーナーに就任した。
2002年オーナー職を辞した後も、北海道移転後初の開幕戦には、病院から
車いすで球場にかけつけるなど、野球を愛しチームに心血を注いだ。
'73(昭和48年)藍綬褒章受章
'88(昭和63年)勲二等旭日重光章受章

君島 一郎 きみじま いちろう

生年月日: 1887年4月16日
没年月日: 1975年4月25日
出身地: 栃木県
出身校: 第一高等学校→東京帝国大学
履歴・球歴
第一高等学校  
東京帝国大学  
1912年〜  日本銀行入行 検査役、調査役、支店長、文書局長歴任
1940年〜1945年  朝鮮銀行副総裁
1947年〜1951年
 
 
 公職追放
 その後、財団法人友邦協会々長となり、在任中、勲二等
旭日重光章受章。
1971年
 
 
 1月 学士会々報710号に「日本野球発祥の地
 ―それは今の学士会館本館敷地」を発表
 10月 学士会々報713号に「野球渡来諸説」を発表
1972年  「日本野球創世記」を著述、刊行(ベースボール・マガジン社)

第一高等学校在学中、野球部で2年先輩の名二塁手中野武二氏(昭和47年
野球殿堂入り)の後継者として明治40、41の二年間二塁手をつとめ、第三高
等学校、早稲田大学、慶応義塾大学との対抗戦に出場して攻守に活躍。
明治時代の野球草創期の故事解明に情熱をもって取り組み、20年近くの歳
月を掛けて資料を収集した。
その資料を基に、1971年(昭和46)発行の学士会々報710号及び713号の中
で、野球発祥については諸説(開拓使仮学校説、平岡煕持ち帰り説、熊本洋
学校説、海軍兵学校説等)ある中で「ベースボールが日本に渡来したのは明
治5年、発祥の地というべき場所は現学士会館本館敷地である」との見解を
明らかにした。
同氏は、翌1972(昭和47)には、85歳の高齢にもかかわらず「日本野球創世
記」を著作、刊行した。
同書は、野球渡来の経緯を皮切りに、我が国における野球の生い立ちを極め
て論理的な、しかも緻密な筆致をもって分かり易く世に紹介したものである。

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